ママ・エコノミストの最適化ライフ

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ポリオを患いながら、大恐慌や第2次世界大戦の米国を導いたリーダーの伝記

以下は、佐藤千登勢著「フランクリン・ローズヴェルト中公新書を読んだ感想です。

 

日本人女性の歴史研究者にして米国でPhDを取得した学者による、日本語で書かれた稀なフランクリン・D・ルーズベルト(FDR)の伝記。

 

FDRの伝記は世界中では数多くありながらなぜ日本では稀なのかというと、もちろん、FDRが第2次大戦を日本と戦ったアメリカの大統領であるからに他ならないだろう。

 

FDRの幼少期から青年にかけての人生経験が、その後の政治家としての判断や生き方にどのように影響したかということがよくわかり、興味深い。例えば、父を早くに亡くし祖父と母に育てられたこと、学校での貧困者に対する奉仕活動、大学時代に希望したクラブに入れなかったという失敗体験から自分が何かを成し遂げるためには縁故などではなく自力で働きかけなければならないことを学んだこと、ポリオが彼にもたらした精神的強さや弱者への共感、ポリオ診断で所見を誤った医師との経験から自分は政策決定において複数の専門家に分析させ自分が決断を下すという姿勢など。

 

特にポリオについては、ポリオ療養のために表舞台から姿を消していた数年間があったからこそ、精神的に磨かれて優れたリーダーになれたこと、また、ブランクを経て絶妙のタイミングでNY州知事になり大恐慌下の経済の舵取りをしたことで全国的に名を挙げ大統領に選任されたことなど、見えざる手に動かされたかのごとく運命が決まってゆく様子が書かれている。

 

ニューディール政策の柱である失業者の救済政策の原理になる倫理観は、彼が14歳で入学した学校(当時のアメリカ屈指のエリート校)において、社会的弱者への奉仕活動を通じて見聞を広げ、そういった人々を助けなければならないという原体験から来たものという記述がある。経済政策は、現在はデータ主義であくまで科学的であることが求められる傾向にあるが、こうした倫理観や「Warm heart」が大切であることを改めて思った。

 

第二次大戦(WW2)前後、FDRが真珠湾攻撃前は日本との戦争回避を探っていたこと、などから、チャーチルの再三の要請に関わらずアメリカ関与を渋っていたFDRが何を考え優先していたのかを知ることができる(それまで関心の大半が内政や経済問題だったので、外交問題に積極的ではなかった)。また、国内の失業者の多さに鑑み、ユダヤ人救済には当初は消極できだったことなど影の部分も本書は伝えている。また、スターリンに対してはずいぶんと無防備だったことがわかり、FDRは共産主義に甘いと批判されていたことと合点がゆく。

 

WW2の後半の頃、体力が相当に弱っていながらも、アメリカ国民の要請に応える形で4選目に出馬し当選しつつも、やがて健康が蝕まれ1945年4月に亡くなる。多くの人は「FDRがあと半年生きていたなら・・・」と言うが、実際には健康問題が悪化し記憶力も減退し意思決定が難しく職務困難に陥っていた状態だったことが伺える。

 

また、女性歴史学者による著書ということもあり、FDRとエレノアとの夫婦関係や愛人との関係について記した記述も興味深い。WW2の最中の愛人の死がFDRに大きなショックを与えるなど、単なるゴシップとしてではなく、FDRの意思決定や最晩年の心身の健康にも少なからず影響しているからだ。

 

政治生命の大半をポリオとともに生きながら、大恐慌に立ち向かいWW2でアメリカ軍・連合国軍を主導した歴史的人物の人生を概観し教訓を学べる一冊。